中西進の経歴は?出身高校や大学は?令和考案者疑惑の理由も

スポンサーリンク

中西進が新年号令和の考案者ではないのかと、今ネット上で話題になっています。

新年号が発表され、やはりどうしても気になるのが考えた人、考案者ですよね。

 

新年号を発表された際に菅義偉官房長官は「考案者は誰か」という質問に対してこのように答えていました。

理由はこの後、総理ご自身から込められた意味や国民へのメッセージについて直接お伝えする。考案者は氏名の秘匿を希望されている、考案者を明らかにすれば個人と新元号が結びつくので、お答えを差し支える。何れにせよ、新元号が広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に根ざしていくようつとめる。

考案者は公には発表しない方針で、個人と新年号が結びついてしまうことを避けたいからと答えています。

 

しかし、ネット上では「考案者は中西進ではないか」という疑惑が多く挙げられています。

そこで今回は中西進の経歴や出身高校、大学を含め、令和考案者疑惑の理由に迫っていきたいと思います。

 

スポンサーリンク

中西進の経歴は?出身高校や大学は?

名前:中西進(なかにしすすむ)

生年月日:1929年8月21日

出身:東京

出身高校:広島大学付属高校

出身大学:東京大学文学部国文学科

 

中西進は30代で万葉集の研究で第15回読売文学賞受賞を受賞しています。

そのあとは、日本古代文学の中国文学との比較研究をされていました。

研究や評論も多くされており、著書は100冊を越えるともいわれています。

東京学芸大学附属高校教諭
成城大学教授
プリンストン大学客員教授
筑波大学教授

1988年国際日本文化研究センター教授、トロント大学客員教授
1995年帝塚山学院大学教授、同国際理解研究所所長、姫路文学館館長
1997年大阪女子大学学長
2001年帝塚山学院理事長・学院長
2001年奈良県立万葉文化館館長。
2004年京都市立芸術大学学長。

1993年から1999年まで日本比較文学会会長。歌壇賞選考委員、日本ペンクラブ副会長も務める。
1994年歌会始召人。
1997年全国大学国語国文学会会長(当初「代表理事」、組織改編後「会長」)。
2011年池坊短期大学学長。
2012年7月6日開館高志の国文学館初代館長に就任[2] 。

世界の宗教的和解を目指すインドの仏教高等研究センター「ナーランダ大学」の復興・創設の賢人会議・理事会メンバー。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E9%80%B2

上記の経歴をみてみると、より凄い人物だということがわかりますね。

 

高校教師もやっていて、教え子にはエジプト考古学者の吉村作治や元日本アナウンサー大沢悠里がいます。

全国の小学生に万葉集の魅力を伝えるために「万葉みらい塾」を開催しています。

 

中西進の妻ひろ子は持病の腎臓病により2011年9月19日に亡くなっています。

おしどり夫婦として知られていました。講演会にはほぼ同行していたそうです。

妻ひろ子は物事の本質を見抜き、直感的に行動出来る能力を持っていたといわれています。

 

中西進の令和考案者疑惑の理由も

新年号「令和」の考案者について、発表はされないと言ってましたが、やはり気になりますよね。

そこに来て、考案者として挙げられたのが「中西進」というお方の名前です。

なぜ、考案者疑惑としてネット上で話題になっているのでしょうか。その理由について調査していきます。

 

国際日本文化研究センター名誉教授の中西進の名前が、4月1日に新年号「令和」の考案者ではないかと浮上しました。

しかし、中西進は3月上旬に「私は関係していない」と否定をしています。

 

新年号「令和」ですが、奈良時代に完成した日本の最古の歌集「万葉集」からの典拠になっています。

日本で記された国書に由来する元号は初めてだそうです。(確認できる限り)

万葉集の研究をしてきた中西進は、「万葉集の比較文学的研究」「日本文学と漢詩」を著者してきており、日本古典に詳しいことから考案者だと疑われているそうです。

 

まとめ

今回は中西進の経歴や出身高校、大学と新年号「令和」の考案者疑惑の理由について調べてみました。

万葉集の専門家ということだけで「考案者」としてニュースで取り上げられるのはどうなのでしょうか。

本人も取材に対して「私は関係していない」と否定もしていますし、「考案者は氏名の秘匿を希望されている」と菅義偉官房長官もおっしゃっていたので、確かな情報ではないと頭に入れておいてほしいと思います。

あくまでも、「疑惑」「専門家の間での浮上」になっています。

スポンサーリンク